手紙

未分類

私は手紙を書くのが好きだ。好きだと言ってもそう頻繁に書くわけではないが、特別な気持ちになった時に、その気持ちを伝えたい人へ送るのだ。手紙を送る楽しさと、受け取る時の温もりについて少し話してみたいと思う。

手紙には特別な力があると思う。今となってはインターネットに繋がらない人のほうが珍しく、光の速さで情報がやり取りされる。瞬きをする間に表示されるのはデジタルの文字列で、どこかの誰かが定義したフォントで表示される。もちろん、それは人類の生産性を計り知れぬほど底上げした。特にコロナ禍以降では地球の裏側でさえ仕事ができるようになった。それでもなお手紙は生き続けている。
近年、年賀状や郵便物の量が減ってきていることは度々報道されているが、お祝い事などではいまだ紙に書いた手紙を見る機会が少なくない。思うに、そこにあるのは「気持ち」なのだと思う。

手紙は形に残る。それはマウスをドラッグしてもコピーできない。手で触れることのできる「気持ち」として手元に残る。我々が千年前の手紙を発掘できるように、今この瞬間に人類が維持するインフラ全てが止まったとしても、残るのだ。
手紙を受け取り、送り主を思いながら封筒を開ける。その瞬間というのは耐え難いほどの緊張と何事にも代えがたい温かさがある。それは一度開封した手紙であったとしてもだ。目を逸らしたくなるような内容も、何度読み返しても満たされないような内容であっても、あなたが燃えるゴミにしてしまわない限り、その気持ちは残り続ける。記した人間がこの世からいなくなったとしても、紙とペンで作られた有形の気持ちとしてあなたの世界に残り続ける。なんと素晴らしいことか。

あなたはどんな時に手紙をしたためるのだろうか。現代社会であれば、お祝いごとや誕生日が多いのではないだろうか。私は、「衝動があった時」に手紙を書くことにしている。プラスであれマイナスであれ、相手に気持ちを残したい時だ。話すという行為は基本的に形には残らない。振り返ることも無かったことにすることもできない。そこで、ペンを握り紙の上を走らせる。あなたが嬉しいと感じたこと、謝りたかったこと、相手の心に刻みたいことを時間をかけて一画ずつ紙に刻む。伝えたい相手の心を抉るために。決して自分のことを忘れさせないためにペンを取る。あなたと食べた食事の内容は忘れてしまっても、相手の心に染み入ること祈りながらインクを塗りつける。「手紙を書く」という行動は自分の中の衝動で相手を呪う行為だと思う。

あなたはこれまでにどんな手紙を送り出したのだろうか。どんな手紙を受け止めたのだろうか。それは心に刻み込まれているだろうか。
今一度、手紙という存在が持つエネルギーについて思いを馳せてほしい。これまでにあなたが受け取った手紙に、込められた気持ちはちゃんと届いているだろうか。あなたがこれから生み出す、その手紙の宛名は誰だろうか。そうやって考えていると、きっとあなたも手紙を書きたくなったのではないだろうか。この世界にあなたの「気持ち」をもう一通増やしてみようと思ってくれたら幸いだ。

コメント