「星の王子さま」を読んで

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「わたし、ばかだった」とうとう花が言った。「ごめんなさい。幸せになってね」

この物語は、主人公が砂漠のど真ん中で小さな王子さまと出会い、王子さまのこれまでの旅の話を聞きながら主人公との仲を深めてゆくお話です。有名なフレーズである、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という大きなテーマとともに、様々なエピソードを通して私たち(登場人物の言う『大人たち』)が忘れてしまったことを教えてくれます。

王子さまは、家一軒よりもほんの少し大きいだけの星に暮らしていました。そこには膝の高さほどの火山が3つあり、時々バオバブの種がやってくるだけの小さな星です。
王子さまは星が飲み込まれてしまわないように、バオバブの芽刈り取り、火山灰の掃除をし、大好きな夕陽を眺める日々を送っていました。
ある時、どこからともなく花の種がやってきて、美しくもプライド高いバラの花が王子さまの星にやってきます。大変美しい花であったにも関わらず、王子さまはその花のわがままさに振り回されてしまうのです。

こうして小さな王子さまは、愛する気持ちがおおいにあったにもかかわらず、じきに花のことをしんじることができなくなった。気まぐれなことばを真に受けては、
とてもみじめな気持ちにおちこんでいた。

そんな気持ちになる毎日に嫌気がさした王子さまはこの星を旅立つことに決めました。

花に最後の水をやり、ガラスのおおいをかけてやろうとしたときには、思わず泣きたくなっているのに気がついた。
「さようなら」王子さまは花に言った。
花は答えなかった。
「さようなら」もう一度言った。
花は咳をした。でも風邪のせいではなかった。
「わたし、ばかだった」とうとう花が言った。「ごめんなさい。幸せになってね」
~中略~
このおだやかな静けさの意味が、わからなかった。
「そうよ、わたし、あなたを愛してる」花が言った。

花は花なりに王子さまを愛していたのです。しかし、王子さまがそのことに気づくには遅すぎました。こうして王子さまは旅を始めます。冒頭の引用はその花が放った別れ際の言葉でした。


近年よく日常的になった言葉の一つとして「言語化」が挙げられると思います。「言語化できないと伝わらない」「言語化が難しい」といった話はよく聞きます。
果たして「言語化」というの本当にそんなに重要なことでしょうか。言葉にしなければ伝わらないものでしょうか。

源氏物語の好きなお話の一つに「玉鬘の物語」があります。その中でこのような和歌が詠まれます。

声はせで 身をのみ焦がす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ
声には出さずひたすら身を焦がしている螢の方が口に出すよりもっと深い思いでいるでしょう

このように平安時代のスタンダードな考え方には、「言わない美しさ」というものがありました。
よく似たものとして枕草子にも以下の和歌が登場します。

心には 下行く水の わきかへり いはで思ふぞ いふにまされる
心には地下水のごとくあなたへの気持ちが溢れていて、その気持は口に出さずに思いとどめておくには難しいけれども、言葉にしてしまうよりも強い気持ちです

同様の和歌は同時期に数多くみられることを踏まえると、やはり千年前の私たちの国では「言わない美しさ」が存在し、言葉にして言ってしまわない方が強い気持ちであると思われていたのでしょう。

しかし、今では「言葉にしなければ伝わらない」とJ-POPで歌われ、「言語化できるやつが出世する」といった価値観の流行を感じます。
言葉にしてしまうということは、それは気持ちや考えのような漠然とした抽象概念ではなく、共有する言語に基づいた具体になってしまうと私は考えます。

王子さまはこのようにも言っています。

「ぼくはあのころ、なんにもわかっていなかった!ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。あの花はぼくをいい香りでつつんでくれたし、ぼくの星を明るくしてくれたんだ。ぼくは、逃げだしたりしちゃいけなかった!あれこれ言うかげには愛情があったことを、見ぬくべきだった。花ってほんとに矛盾してるんだね!でもぼくはまだ、あまりに子どもで、あの花を愛することができなかった。」

王子さまは自分の星を離れた後、いくつかの星を巡って最後には地球にやってきて、そうして「目に見えない」ものの重要さに気がつくのです。
そして、王子さまは言葉にしないことで、はっきりとわからないことで、それは小さな可能性として私たちの心に残り続けることも教えてくれました。
これは王子さまが、主人公との別れ際に言った言葉です。

「夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか教えられないけど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星のなかの、どれかひとつになるものね。そうしたらきみは、夜空ぜんぶの星を見るのが好きになるでしょ……ぜんぶの星が、きみの友だちになるでしょ。今からきみに、贈り物をあげるね……」
~中略~
「きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ!」

大人になってきた皆さんには、たくさんの別れがあったと思います。中には今でも思い出す人がいるのではないでしょうか。それはどんな時に思い出しますか?星を見て思い出す人もいれば、月を見て思い出す人もいるでしょう。もしかすると、それはパンの焼ける匂いかもしれないし、懐かしいメロディかもしれません。それが嬉しい物なのか、苦しいものなのかは分かりませんが、そういった贈り物を抱えて大人たちは、「何をさがしているのかもわからない旅」を送っているのでしょう。

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
我々が星を見て思い浮かべる気持ちはきっと完全な言葉にはできないでしょう。我々の言葉は心と相手との通訳に過ぎないのだと思います。美しいと思う和歌を英語に翻訳したとて、それが完全に伝わることがないのと同じで、言葉としてでてきたものは言語という枠組みのなかに囚われてしまうのだと思います。「言語化」が叫ばれる今の時代にこそ、行動で示すことの重要性や、表に出さない美しさに目を向けたいです。

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